溝口にある街の電気屋さん「ユーデン南筑後店」が、溝口の文化と歴史を紹介するマップ(pdf)を制作されました。非常に見やすく、詳しいです。ご参考にされてください。
⇒ こちら
◉溝口城にまつわる二つの祭り
毎年9月、五穀豊穣と疫病退散を願って「千灯明(せんとうみょう)」が行われます。1500年頃、この地に存在したとされる溝口城ですが、お城の形に配置された灯明に灯りがともされ、一晩だけ光の城として甦る美しい祭りです。
一方、12月の「きせる祭り」について。溝口城主・溝口正重が佐賀の龍造寺隆信の攻撃を受け城を追われた際に、近くの竹やぶに逃げ込み、竹を切ってタバコを詰めてキセルの代わりにしたという故事にならい、先祖を偲びながらキセルをふかすという奇祭です。
◉筑後地域手すき和紙文化の発祥地
1500年代後半、越前の僧・日源上人(にちげんしょうにん)は、全国行脚の旅に出た際に溝口村に立ち寄り、荒廃した村を救済するために、紙漉きの技術を伝えました。江戸時代には、有馬藩の御用紙として、また立花藩の保護を受けて繁栄し、和傘や提灯の発展へとつながりました。溝口にある福王寺には、日源上人の功績を称え、像が建てられています。(写真) 残念ながら、この地域での和紙作りは途絶えました。
◉幕末を生きぬいた勤皇志士たちの足跡
溝口村出身の古松簡二(ふるまつかんじ)[1835~1882]、横枕覚助(よこまくらかくすけ)[1843~1890]は、尊王攘夷の志をもって幕末を生き抜きました。溝口にある光讃寺では、二人の遺徳をしのぶための行事が毎年6月に行われています。二人の墓はそれぞれ溝口の集落内にあります。
◉溝口が生んだ画家・井上三綱
井上三綱(いのうえさんこう)[1899~1981]は、坂本繁二郎に師事し洋画を学びました。その後、日本美術を洋画で表現する方法を研究した三綱は、屏風絵風の絵をたくさん残し、日本国内より欧米で高い評価を受けています。溝口の部落内にある納骨堂には、三綱が残した壁画があり、手漉き和紙を作る村人を天女が見守る作品となっています。(写真) 溝口竈門神社のすぐ横にある家が、三綱の生家です。三綱の墓は溝口竈門神社の境内にあります。